B級手品師(日常編)

青森、手品、新聞投稿など綴ります~

「棟方とつながる」※令和元年8月26日(月)掲載(北日本新聞:声の交差点 欄)

 北日本新聞(朝刊)「声の交差点」欄に、私の投稿が掲載されました。富山県の地元紙です。青森でいえば明鏡欄(東奥日報)にあたります。

 現在、母親、弟一家そして親戚が、富山に住んでいることもあり、私にとって繋がりが深い県です。今回は、棟方志功を通して富山と繋がりました。

 近いうちに、福光美術館(富山県南砺市)に行ってみたいのですが・・・。交通の便が悪く躊躇しています(苦笑)。寝台特急 日本海(青森~大阪)の復活を切に希望します~

 

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追記:2023年9月24日(日)

棟方とつながる(修正版)

  富山と青森の交流は旧石器時代(約1万5千年前)にまでさかのぼる。立美遺跡(南砺市)から、青森の黒曜石で作られた石器が出土しているという。

  青森で生活している私にとって、富山をより意識させる存在が板画家・棟方志功だ。戦禍を避けるべく、故郷の青森市ではなく福光町(南砺市)で疎開生活を始めたのは昭和20年4月、彼が42歳の時である。福光で過ごした6年8ヶ月は、後に「世界のムナカタ」と称賛されるまでに至った過程で貴重な期間となった。

 私がとりわけ注目するのは『富山では、大きないただきものをいたしました。それは「南無阿弥陀仏」でありました。(板極道より)』という彼自身のことばだ。真宗王国といわれる富山の環境と多くの人々との出会いが縁となって生まれたものであろう。

  近い将来、彼のオリジナル作品(福光時代)を多く所蔵している福光美術館などを訪ね、ことばの真意を確かめてみたい。

 

4年前に投稿した内容を少し訂正(赤字部分:3箇所)いたします。勉強不足でした。

【訂正箇所】

版画家⇒板画家(志功の言動から「板画家」とした方がよいと思いました)

41歳⇒42歳

青森市から⇒青森市ではなく

 

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南砺市立 福光美術館

https://nanto-museum.com/category/exhibition/in-session/

 

btejina.hatenadiary.com