うちのだりあの咲いた日に
酒屋のクロは死にました。
おもてであそぶわたしらを、
いつでも、おこるをばさんが、
おろおろ泣いて居りました。
その日、學校(がくこ)でそのことを
おもしろさうに、話してて、
ふつとさみしくなりました。
【金子みすゞ童謡全集(4)空のかあさま・下より】
これは、私の好きな金子みすゞの「犬」というタイトルの詩です。
以下、私の解釈です。
みすゞは、いつもガミガミうるさいおばさんが、涙を流して悲しんでいる姿を見て、最初は、「いい気味だ!」という気持ちがあったのでしょう。
しかし、しばらく時間が経って、そのおばさんの悲しむ姿を振り返ってみると、みすゞもさみしい気持ちになったのです。それは、愛犬クロとの別れを悲しむおばさんの心(気持ち)に同化したからなのでしょう。いつも怒っているおばさん。そして、クロを亡くして悲しんでいるおばさん。そのギャップは、さみしさ・悲しさをより顕在化させています。
また、みすゞ家のダリアの花が咲いた日に、クロは旅立ったという点に着目しますと、「時は確実に流れていること」、「無常の世の中であること」を、(みすゞは、)ひしひしと感じていたのではないか、と思うのです。
とりわけ、「ふっとさみしくなりました」という一文が心に響きます。それは、この詩を読んでいますと、今は亡き愛犬・蓮太郎のことを「ふっと」思い出してしまうからです。彼との別れのシーンがよみがえります。